1957-08-09 第26回国会 衆議院 建設委員会 第27号
○三鍋委員 衆議院を代表しまして、去る八月一日から一週間、薩摩委員長を団長といたしまして、中村寅太君、中馬辰猪君、山田長司君及び私の五人をもちまして、佐賀、長崎、熊本、鹿児島の各県の水害地を慰問調査して参りました。この機会に、皆様のお許しを得て、ごく簡単にその概要を御報告申し上げたいと存じます。
○三鍋委員 衆議院を代表しまして、去る八月一日から一週間、薩摩委員長を団長といたしまして、中村寅太君、中馬辰猪君、山田長司君及び私の五人をもちまして、佐賀、長崎、熊本、鹿児島の各県の水害地を慰問調査して参りました。この機会に、皆様のお許しを得て、ごく簡単にその概要を御報告申し上げたいと存じます。
さらにまた各党代表が現地に激励、慰問、調査のためにおいでをいただきましたし、さらにまた政府におきましても運輸大臣を初めとして関係者多数現地の見舞、慰問、激励、調査においでをいただいた次第でございますが、その点につきましてはこの機会にあらためて厚くお礼を申し上げる次第であります。
大体今小平君の御質問で了承できるのですが、注の2の「奈良県其他を適用すれば」というような——和歌山、奈良が同時に水害があつて、特別対策委員会から現地慰問調査にまで行つて、和歌山が入つて、奈良県を入れるとすればというような、こういうことは私はどうもけしからぬと思う。ことに北海道の方も激甚な被害であるという報告は私どもも受取つておるし、農林当局あたりでもそれを知らないはずがないと思う。
過日来西日本を初め全国各地を襲うた大水害に慰問調査に行かれた同僚の報告を承ると、水害地の被害者は、口をそろえて保安隊より保安堤防、すなわち保安隊より保安堤をと要求しているのであります。このことは、国民が血の出るような税金をとられ、それが外国を守る傭兵的再軍備に使われ、自分たちは水害により、酷暑の中に、飢えと不安に脅かされつつある現状から出た悲壮なる叫びであろうと存じます。
このたびの九州の大水害につきましては参議院におかれましては非常なる御同情を賜りまして、早速慰問調査団を御派遣頂きまして、九州被害県民といたしましては感激感謝に堪えない次第でございます。ここに謹んで厚く御礼申上げる次第でございます。 長崎県もその被害県の一つでございまするが、熊本県、福岡県、佐賀県の被害は特に甚大でございまして、その当時全く通信も交通も寸断されておつたのでございます。
慰問調査団一行は、六月二十九日飛行機で現地に到着し、直ちに福岡県庁にて各方面より九州全般の被害状況について実情聴取の上、調査の便宜上、第一班福岡、大分、第二班熊本、第三班佐賀、長崎の三個班に編成して、交通通信殆んど杜絶の悪条件と闘い、今暁帰京するまでの間、日程の許す限り広汎且つ詳細に調査慰問をして参つたのであります。
なお、今回の風水害に対して、衆議院より十五名の慰問調査団を現地に派遣するということに、これも意見の一致を見た次第でございます。この十五名の各党の割当は、自由党六名、改進党三名、社会党左派二名、右派二名、小会派一名、分自党一名、このように意見が一致いたしました。
この慰問調査団の一行は、なるべくすみやかに飛行機で現地に行く、帰りは汽車ということにして、往復五日間の日程で行く、このように一致いたしましたので、右つけ加えて申し上げます。 ―――――――――――――
○松田委員 三月四日に発生いたしました十勝沖地震に対して、自由党では苫米地、篠田、伊藤、私四名を現地の慰問調査に差向けられたのであります。連合軍の好意によつて同乗された建設大臣とともに五日の飛行機によつて立ちまして、三月六日の午後三時ごろ現地である釧路へ到着いたしたのであります。